幸せになるために、私は、あなたと離婚したいのです。

モラハラって何だか本当にわかってる?

モラ夫は要らない
カサンドラ
カサンドラ

モラハラって、単発の嫌な出来事ではないんだよ?
モラルハラスメントについて思うことを書いてみましたよと。

モラハラなんてたいしたことない?

モラハラ、セクハラ、パワハラ、いろんなハラハラ、カジュアルに聞くようになったけど、 モラルハラスメントとは、モラルによる精神的な暴力、嫌がらせのことだ。

「モラ」って言うと、それはモラハラをする人のことを指すようになったよね。
「モラ男」とか、「モラ夫」とかね。言っとくけど、「モラリスト」って言うと、モラルのある人って意味で「モラ」とは真逆だからね?

モラハラに遭って、酷い苦痛を受けた人がその話をしていると、些細な嫌がらせなんてよくあること、意図せずともやってしまうことがあると考えている人が出てくる。もちろん受け取り方によっては誰かの言動は誰かの好ましくないものになる事もあるし、生きていれば、人間関係に悩みは尽きないものなのは確か。誰かの喜びは誰かの悲しみになる事だってある。「些細なことにくよくよしてもしょうがないよ」なんて励ましのつもりの言葉を言う人も居る。

だけど、モラハラ被害は「些細な嫌がらせの話」ではないのだ。

モラハラ被害者にかけられる言葉

モラハラは、学校でも職場でも家庭内でも起こりうる、「モラル」に関する嫌がらせだ。
たとえば、こんな感じだ。2例挙げよう。
モラハラに遭った被害者が話をしていると・・・

いや、おめーが無人島で暮らせよという話だ(呆)
「そんなん言い出したら」って、こちらは初めから「モラハラに遭った話」をしているのだ。
「他人はみんなモラ」って、いや、おめーがモラだよと。頓珍漢なマイジャッジを入れてくるあたり、モラ男らしい他人に寄り添わない思いやりのなさ、視野の狭さが露呈している。

「リプそのものがモラ」ブーメラン刺さってますよ?な件について。。。
このモラさんは本当にいろんなツッコミどころがありすぎて笑えるが、簡潔におかしいところを述べるなら以下の3点。

  1. 雑誌に恨みをぶつけているのではない
  2. 男モテの話などしていない
  3. 安易なコロナ記事を書くのはモラルに反する

こういうのを、モラハラっていうんだよというお手本のような嫌がらせリプだ。
認知が歪んでいて、全て自分基準で見たいようにしか物事が見えていない。もしかしたら、自分自身でも何がどう嫌がらせになるのかわかっていない可能性もある。

2例とも、あらかじめリプはRicocy記事に掲載しますって書いてたところにわざわざ「モラです」と自己紹介&モラサンプルになりに来るとは、本当に嫌がらせをすることが抑えがたいのだろう。

なぜモラはモラハラするのか

確信を持って言えるが、モラハラしている人は、自分自身がモラハラをしている認識がない。
または、薄々わかってても自己を正当化してやめることができない。

おそらく、さっきのサンプルの二人も、列に並んでいて自分の目の前に横入りされたら「はぁ!?」と怒るだろう。仕事の出来が悪いとみんなの前で上司にdisられ、笑われれば腹も立つだろう。意に沿わなくても言われた通りに動けと強制されたら反発もするだろう。

そこはモラでなくても誰でも同じ反応になる。
にもかかわらず、されたら嫌なことを、他人にやれてしまうのがモラだ。
disられ・笑われ・強制されるのは我慢ならないが、自分は他人をdisり・笑い・強制するのだ。

「お互い様」の定義と損得の秤

誰でも「お互い様」という言葉を聞くと、「双方他人を傷つけることはしないようにしましょうね」かつ「双方迷惑かけてしまうこともありますから大目にみることも必要ですよね」という認識になるじゃない?仕方ないこともあるから許容し合いましょうというものだ。

これがモラは、「お互い様」の定義が違う。
「俺様を傷つけてはならないが俺様が他人を傷つけるのは相手に原因がある」「俺様がかけられている迷惑を鑑みれば相手が俺様にさらに迷惑をかけるなど許しがたい」といったところだろうか。常に人との関係を損得勘定の秤で量っていて、相手が得をするのが耐え難いらしい。

結婚や子どもの誕生など、ライフステージが変わると現れるモラ夫は、自分の秤の皿に「責任」が乗ると、その分を自分が妻に科してもいいと感じ始めるのだろう。
「お互い様」が許容し合うものではなく、報復的なものが積み上がる秤のようなイメージだ。

しかも自分は良くて他人はダメというように、秤は公平ではない。
自己中過ぎて自己中なことも自覚できないその様は、ちょうど、地球に立って星空を見れば、自分を中心にして周りの宇宙が回転しているように見えるからと、本気で天動説を唱えている人と同じだ。自分自身に見えていることがすべての基準として疑わず、揺るぎない。

執拗な嫌がらせ

執拗な嫌がらせは暴力だ。

暴力というと、身体的暴力を思い浮かべるだろうけど、人を死に追い詰める精神的な暴力も正しく暴力なんだよ?無意識なうえに、執拗で暴力になっていく嫌がらせというものを想像できるだろうか?

イメージするのに簡単な例は、「いじめ」だ。

学校で起こる「いじめ」は社会問題だし、やっちゃ駄目だってことはみんなが一応知っている。「いじめ」は「スクールハラスメント」。スクールハラスメントは、生徒間だけでなく、生徒から教員、教員から生徒、教員間など学校で起こるハラスメントを指す。

やっちゃ駄目と知ってるけど、一向に「いじめ」が無くならないのはなぜ?
「いじめ」を「いじめ」だと認識していないから。いじめっ子は、いじめをしているつもりがないんだよ。

神戸市立東須磨小学校の教諭らによるいじめ問題を覚えているだろうか?
教員を、教員が羽交い絞めにして激辛カレーを無理矢理食べさせた動画がショッキングだったあの事件だ。あの加害教師たちが、事件化してどのような反省を見せているかご存じだろうか?

いまだに加害教師たちは罪を擦り付け合っている

「加害教師2名は、それぞれ『私より○○先生のほうが酷いことをした』と、罪を擦り付け合うようなことを言っている。自分たちは主犯じゃないと、4人が同列に扱われていることに不満を抱いているようです。

引用元: 週刊文春デジタル

そう、反省などしていない。それぞれ自分の秤を軽いと主張して罪を軽くしようと躍起になっている。

無理強いをして、嫌がらせをしていながら反省をしていないその無神経ぶりがわかるだろうか?「からかい」だとか「ふざけて」とか様々な言い訳にラッピングされて執拗に被害者をいじめ続ける。

家庭内で起こる「モラハラ」も些細な嫌がらせや軽いちょっかいのことではなく、罪の意識もなく行われる一方的で執拗ないじめだという事だよ。

ダメなものをダメと認識しない

無意識なうえに、エスカレートして暴力になっていく嫌がらせをイメージするのならしつけと称した虐待・体罰もイメージしやすいだろう。

「体罰」も社会において問題視されるけど、親や先生からの体罰も明確に法律で禁止と明文化されたのは、まだ2020年春、今いまの話だって知ってた?

令和元年6月に児童福祉法等改正法が成立し、親権者等は、児童のしつけに際して、体罰等を加えてはならないことが法定化され、令和2年4月から施行されます。

引用元:厚生労働省「体罰等によらない子育てのために」

そう、今ようやく児童のしつけと称して体罰等はダメっていう法律になったの。
学校でも、家庭でも、「体罰等は暴力」と認識しなさいってことだよ。
付け加えておくが、言葉で児童の心を傷つける行為もダメってことだよ。

体罰等によらない子育てのために~みんなで育児を支える社会に~

引用元:令和2年2月 厚生労働省「体罰等によらない子育ての推進に関する検討会 」

何人もの児童がいじめや体罰という虐待の犠牲になってしまった。
何人もの児童が加害者の「ついやりすぎて」「ふざけすぎて」「ついカッとなって」「ためを思って」で心身に大きな傷を負わされたり、命を奪われた。

目黒女児虐待事件や野田小4女児虐待事件・・・どうしてこんないくつもいくつも痛ましい事件が起こらなければいけなかったのか。虐待して傷害致死に問われた父親は、一貫して「暴行は無かった」としつけだったつもりなのを譲らないし、懲役16年の判決に控訴もしている。

法律で嫌がらせや暴力はダメと明言されないと考えを改めない者がいる、ダメとされても考えを改めず持論を押し通そうとする者がいるってことだ。
児童だろうと、大人だろうと、他者への嫌がらせや暴力はダメなんだってのにね。

被害者にも非があるのでは?

いじめや虐待のリアルを覗き込めば、必ずと言っていいほど「被害者にも非があるのでは?」という疑いを誰かが持ち出してくる。

いじめや虐待を受けた側からすれば、即座に「そんなことはない」と怒りがこみ上げるだろう。

でも、一旦落ち着いて欲しい。
勿論、被害者に非はない。

問題は、「被害者に非があるかどうか?」ではない。
問題は、「なぜ被害者に非があると思う人が出るのか?」だ。

実は、人間は、嫌な思いをしている者に非や落ち度があったのではないか?と錯覚する

これは、「認知バイアス」という人間が陥りやすい思い込みのこと。
「公正世界仮説」という認知バイアスがあることを我々は知っておかなくてはならない。
詳しくは、下記のリンク先からスライドを見てもらいたいんだが、端折って言えば、「悪いことをした人には罰が当たる」という思い込みだ。

人はなぜ被害者を責めるのか?(公正世界仮説がもたらすもの)

引用元:心理学ミュージアム

「因果応報」で「勧善懲悪」なストーリーってみんな大好きよね。
絵本から漫画からテレビアニメやドラマも小説も、たいてい悪役が懲らしめられるシーンがあってスカッとする。「さるかに合戦」も「アンパンマン」も「蜘蛛の糸」もニチアサのヒーロー番組も「ハリーポッター」も。そうやって「公正世界仮説」が出来上がる。

物語と違って、現実は、問題が露呈してからさかのぼる形になる。
事の始まりからの出来事を、当事者以外の人々は視聴する事ができない。

つまり、被害を聞くと、まず誰かが「懲らしめられるシーン」を観ていると錯覚するわけよ。「懲らしめられている人」=「悪役」で、そんな酷いことをされるなんて「なんか悪い事やったんじゃないの?」と疑うわけ。これを「被害者非難」というけど、セカンドレイプや二次被害と言った方がピンとくるかな。錯覚してしまうのは仕方がないけれど、人間がそう錯覚してしまいがちなことを自覚していれば、被害者を不用意に傷つけるのも避けられるかもしれない。

我が子がいじめを受けた原因や、自分がハラスメントを受けた経験から分析すると、そこには何かしらの「誘因」はある。だけどね、加害者が嫌がらせをしていい正当な理由になんて、なり得ない

どこから嫌がらせになるのか?

さて、
どこまでが「いじり」でどこから「いじめ」なのか?
どこまでが「ちょっかい」でどこからが「嫌がらせ」なのか?
どこまでが「些細な嫌がらせ」でどこからが「モラハラ」なのか?
その線引きって難しいって思うだろうか。

例えば、孤立しているクラスメイト。
放っておくのもかわいそうだから、仲間に入れてやりたい。
いじってみんなの注目を集めて、面白がってやろう。

よく聞くよね?
「からかってるつもりだった」「いじりであっていじめじゃない」「あいつも笑ってた」

どこから嫌がらせになるか?
相手が「嫌だ、やめてと反応」しても執拗にやめない時からそれは嫌がらせだよ。

些細な嫌がらせとモラハラの違い

些細な嫌がらせとモラハラの違いがわかるだろうか?

家庭内のモラハラは第三者が見えない上に、様々な形になって、被害者を追い詰める。一般化して表すと「いやがらせやいじめのこと」と途端に漠然とする。逆に具体的に言うとそれだけにフォーカスがあたり、大したことではない規模に見えてしまう。

些細な嫌がらせの例は、「反旗をひるがえせ!!モラへのささやかな反撃」をみていただくとして、モラハラの例を挙げよう。

「妻の自由を束縛して支配する」
・・・うん、漠然としてるよね。
モラの支配を知らない人にはピンとこないだろう。
具体的にはどういう束縛をして、どういう支配なのか?

「カレーにじゃがいもを使わないよう注文を付ける」
・・・うん、これだけなら単なる食の好みだよね。
そのくらいの希望きいてあげれば?なんて声が聞こえるようだ。
そりゃぁニコニコ夫婦がじゃがいも無しのカレーを食べていれば何ら問題ない。これだけでモラハラって言ってるわけじゃあないのだよ。

「カレーはシーフードしか認めない」「牛乳を添えろ」「ラッキョウを添えろ」「灯りはオレンジ色にしろ」「フルーツは皮を剥いて出せ」「防虫剤は禁止」「パンは指定のパン屋のみ」「朝ごはんにパンは手抜き」「カレーに玉ねぎをいれるな」「アイスは指定銘柄を常備しろ」「入浴剤の使用禁止」「食洗機を使わず手洗いを強要」「外食禁止」「働きに出る事禁止」・・・あれするなこれするなこうしろああしろと細かく束縛したり、異常にこだわった注文を付けて自分の要求を通し、一切妻に譲歩せず自由を与えない度合いが違うのだ。

そして健全な家庭と異なるのは、モラ夫の注文が通らないときは、不機嫌な態度、無視、舌打ち、怒鳴ったり、執拗な説教をしたり、妻を責めて自尊心を傷つけるなどの「嫌がらせを伴う」ということだ。

モラハラ被害者の「例えばこういう被害」というのはいつでも「氷山の一角」という形でしか表に現れない。

隣の奥さん
隣の奥さん

なんだ旦那さんがちょっと食わず嫌いでこだわりがあるだけじゃない。合わせてあげないなんて思いやりがないわ。うちの夫は、やって欲しいこと言えばちゃんとやってくれるわ。

こういうことを言ってくるどこかの平和な家庭の奥さんの気持ちも分かるけど、モラ夫はあなたの夫とは違う人間で、まともに相談をきいてくれたりせず不機嫌な態度をとって意見を通す人間なのだ。信じられないかもしれないが妻子にだけそんな態度を見せるのがモラ夫だ。

他人の意見を聞き入れるモラル他人を強制して従わせたりしないモラルがあるのなら、最初からモラルハラスメントの話はしていないし、おそらく離婚もしていないのだ。

それでもモラハラが「たいしたことない」と思えるのなら、激辛カレーを無理やり羽交い絞めにして食わせる人と同じ屋根の下に住むと考えてみればいい。

モラルってなんだろう?

モラハラの嫌がらせが何なのか、定義できただろうか?
他人が、やめてくれってことをやめない嫌がらせだ。

「嫌がらせのつもりはなかった」
なんて、ほんとは通用しない話しなのだよ。
やめなかったこと・考えを改めなかったことに加害者の落ち度があるんだよ。

嫌がってることに気付かなかった?
違うね。
嫌がっているかどうかに無頓着だったんだ。

そこで問われているのが「モラル」だ。
モラルとは、「倫理」や「道徳」
人として、大人として、行動の指針となる良識や見識があるかという事だ。

「やめて」と言われた時や相手が嫌な思いをしたときに、その気持ちを尊重できるかどうか。自分も他人も含めて、人権や尊厳を尊重できるかどうか。尊重すべきことが何かが分かっていて判断・行動・言動ができること。それがモラル。

他者の苦しみに無関心で耳を傾ける事もせず、自分の思い込みや願望を他人に押し付け、他者が受け入れないと2歳の子どものように癇癪を起すような幼稚な人間にはモラルがない。
「モラ」には「モラルがない」んだ。

そんな「モラ」がやる常態化した嫌がらせが「モラルハラスメント」であって、些細な単発の嫌だった出来事の話ではない。

モラハラ被害者が語っているのは、日常的に被る人権侵害レベルの嫌がらせなのだよ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました