りりさんの投稿
こんにちは。45才女性です。
私は2回の結婚をしました。
子供は3人います。
1番上の子は最初の旦那の子です。
下2人は2番目の旦那の子です。
1回目の結婚はモラDVの支配だった。
1回目の結婚は26歳の時でした。
まだモラハラと、言う言葉がない頃でDVと言う言葉が出始めた頃だと思います。
最初の旦那はDV、モラハラでした。
思考と言う思考を全て暴力と暴言で支配されました。
私の全ての判断は、旦那が怒るかどうかでした。
完全に恐怖でコントロールされていました。
「殺すぞ」
「ボッコボッコに殴ってやる」
など言葉の支配にも洗脳されていました。
逃げることなど許される事はないと、思っていました。
だから、性的にも拒む事は許されませんでした。
子どもの存在が私の目を覚ました。
そんな私が逃げたのは長女が産まれてから。
彼女が私に正常な思考を取り戻してくれました。
「このままじゃ、私もこの子も殺されるかもしれない。守らないと」
その気持ちだけで、旦那が仕事に出ている間に鞄に最低限、必要なものを詰め込んで彼女が7カ月の頃に実家に逃げました。
しばらくの間、本当に殺されるという恐怖で外にも出られず、夢でも殺されかけ、、。
ほぼ、逃げるように離婚しました。養育費も一切貰わず、とにかく縁を切りたくて離婚しました。あの頃の自分は、あまり覚えていません。
2回目の結婚で始まった「面前DV」
2回目の結婚は、35才の時でした。
9才年上の2番目の旦那は、当時5才の娘にも親切にしてくれました。
彼もバツイチでした。
「お互い同じ間違いはしないようにしよう。」
「子供も大切にする。」と言う言葉を信じて結婚しました。
ところが、そんな言葉はもろくも真実ではないと思い知ったのです。
37才の頃、年子で帝王切開、高齢出産。
ボロボロの体でワンオペ育児を始めた私への暴力
それは、1番上の子への目前(面前)DVの始まりでした。
追い討ちをかけるかのように、私は妊娠し堕胎。
それでも私は、また離婚して父親のない子供を作ってはいけないと頑張りました。
壊れていく私と娘
壊れる体と心・・・私は、お酒に溺れて行きました。
アルコール依存症と鬱病です。
でも、壊れるのは自分だけではなく長女も壊れていきました。
中2の冬、不登校になり朝夜逆転の生活になってしまいました。
全く生気のない彼女を見るのが辛かった・・・。
また同じ事の繰り返しだと気がつき、長女だけでもと実家に最初に返しました。
そして、下2人の小学校の手続きを済ませ、旦那に自分の体を治す為だと言い、別居する事に成功。
そして、弁護士を入れ1年半の別居。
離婚を今年(2020年)の2月にする事ができました。
Twitterでもらった力。
Twitterで、同じようにモラハラ夫から泣かされ、傷つき、生きることさえ馬鹿にされている女性たちがいる事を知りました。
「私だけじゃないんだ」と、調停離婚中に何回も何回も力をもらいました。
名前も顔も知らないのに…。
もう、これ以上、女性が泣かされる世の中であって欲しくない。
「NO」と強く言いたいです。
これからも、ずっと応援しています。ありがとうございました。

りりさんの体験投稿が、今度はきっと他のモラ夫に苦しめられている人を勇気づけてくれるはずです。投稿・応援ありがとうございます!
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