幸せになるために、私は、あなたと離婚したいのです。

喧嘩ばかりの夫と結婚生活に終止符。

DV・ドメスティックバイオレンスモラ夫は要らない

たちばなさんの投稿

喧嘩せざるを得ない理由

最初は気が短いだけかと思っていたんです。

結婚し子供が生まれ、わたしにも余裕がなかったのかもしれません。
いえ、余裕などなかったのでしょう。
二人目の子供を亡くしたときに旦那に「母親失格」と言われてから、わたしも旦那に対して嫌悪感を持つようになってしまった。だんだんと喧嘩は増えました。

旦那のお酒の量や飲み方、お金の使い方…
わたしからすれば、喧嘩ぜざるをえない理由ばかりでした。
ほかにも、風俗の利用…
それを理由にセックスを断ると決まって喧嘩になりました。

喧嘩のたびに旦那の怒り方はエスカレートしていきました。
テレビを割り、子どもたちのおもちゃがうるさいと壊し、物を投げ壁を殴り穴をあける。素手でガラスを叩き割りあたり一面血だらけになったこともありました。
怒りで一睡もせずに、翌日1日仕事なんてこともよくありました。

別居をしたけれど旦那の元へ

離婚を切り出し実家に帰って別居をはじめると、旦那は「離婚はしない」と言い、謝ったり脅したりと支離滅裂。子どもたちの面倒などみたこともないのに「親権をとる」と言ったり勝手に「連れていく」と言ったりされました。

さらに自殺未遂までも・・・

わたしは、子どもたちの父親を死なせてしまうかもしれないという良心の呵責(かしゃく)に耐えきれず、旦那の元に戻りました。生まれ変わるという言葉を最後に信じてみようと思いました。

起こらせないように努めた

戻ってからは、旦那を怒らせないように努めました。

セックスは2日に1回応じました。
断ると壁を殴る音が聞こえるから、応じるしかありません。せめて3日に1回にしてほしいとお願いしたときもケンカになりましたがなんとか聞いてもらえました。わたしはセックスは義務で心底嫌いになりました。

仕事を辞めたい」と言われたときも止めませんでした。
それから離婚まで、再就職することはありませんでしたが。

子どもたちがうるさいと朝から怒鳴られるので、静かに支度をさせるのに毎朝神経を遣いました。毎朝子どもたちと車に乗り込み、保育園に向かうとホッとしていました。

仕事を詰め込み倒れながらも

わたしは、仕事を詰め込み何度か倒れました。
それでも家にいるより仕事をしている方がよかった。
旦那が仕事を辞めて収入も減っていましたし。

よく家にも仕事を持ち帰りました。
そんなわたしに旦那はよく「ちょっと働いたからって調子にのんな」と言ってました。フルタイムで働いてたんですけどね。確かに給料は少ない仕事でしたが、やりきれないきもちになりました。

子どもはかわいいようでしたが、面倒はほとんどみたことがなく保育園や小学校の行事にもほぼ来たことはありません。

また、結婚前に付き合っていた人がいたため「おまえは中古品」というのもよく言われました。わたしは物なのかな…とぼんやり思っていました。

実家の家族や方言を悪く言われるのも嫌でしたね。
だいたいのことを聞き流したり見なかったことにしたりしていましたが、我慢しきれず反論したりしたりすればたちまち喧嘩になりました。

この頃には手がでるようになりました。
掴みあい、突き飛ばされ、髪をひっぱられ、平手打ちでメガネを飛ばされ壊されたり。反撃して噛み付いたら、「お前も暴力じゃないか」と。「お互い様」と言われました。

また貯金も使い込まれるようになり、わたしは貴重品を入れたかばんをベッドの近くに隠して眠るようになりました。

もはや家は安らげる場所ではありませんでした。

わたしは間違っていなかった

ある日の喧嘩で頭を何回も殴られこめかみから血が流れました。
「お前がうるさいからだ、ざまあみろ」と言い寝室に消えた旦那。

くやしくてかなしくて一人泣いているところに、夜泣きしながら下の子が起きてきました。

「ママどうしたの、痛い痛いしたの?パパがペンしたの?ママ泣かないで」

2歳の子どもですら、人を思いやることができるのに。

わたしはセックスを完全に拒み、離婚に関することを調べ始めました。
また、市の相談電話など、思いつく限りの機関で相談をしインターネット検索しまくり、客観的意見を求めました。誰ひとりわたしが間違ってると言う人はいませんでした。

離婚を固く決意した瞬間

少しずつ、自分の気持ちを固めていきました。

まずは別居ということでアパートを借り、探されるのや自殺が怖いなと警察に相談DVにあたるとのことで記録を残す

「申し訳ないけど、子供に暴力を見せるのも虐待に当たるから児童相談所にも通報するね」と警察の人に言われたときに、『ああそうか』と思いました。

わたしたちの醜い姿を見せることが虐待なんだ。私も加害者なんだと。
離婚を強く決意した瞬間でした。もう繰り返してはいけないんだと。

それから逃げるように別居し、電話は怖いのでメールでやりとりして、なんとか同意を得て、気が変わらないうちに、前回の喧嘩の後に「次になにかあれば提出する」と預かっていた離婚届を速やかに提出して素早く離婚しました。

離婚後の児相の聞き取り

児童相談所からの呼び出しは離婚後だったので、聞き取りと子供たちの様子を見てもらい、問題なしということで終了。

「旦那と復縁することがあれば、指導に入ることになります」と言われましたが、わたしは即座に「ないですねー」と答えました。

ちなみに旦那は私が浮気をしていると思いこんでいたようですが、ワンオペ育児にハードワークなわたしにそんな暇はなかったのですけどね。

旦那の方が働かずに昼間から酒を飲み、知らない女性と連絡をとってたようです。今となってはどうでもいいですが。

養育費や慰謝料を請求できなかった

養育費や慰謝料は請求しませんでした。
なにをされるかなにを言われるかわからなかったからです。

その頃わたしは戦う気力はなく、ただ静かに暮らしたい。
その一点でした。

警察からもまずは離婚して、落ち着いてから請求してはと言われました。

離婚後1年半ほど経ちました…わたしはいまだ怖くてなにもできません。
落ち着く日が、くるのかわかりません。

わたしの体験は、あまり正しい離婚方法ではなかったかもしれませんが、子どもたちと家で安らぐことができる現在、後悔はしていません。

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