幸せになるために、私は、あなたと離婚したいのです。

別居という道を選んだ私

モラ夫は要らない
えに
えに

離婚より前に別居をした私。
モラハラ夫と離れて、どんな苦労をしても絶対自立してやると思っていましたが想像以上の苦労と絶望でした。
ツイッターでも語ることのあまりなかった有葉えにの別居物語です。

別居スタート

ある日私はファストフード店でカフェオレを飲んでいた。

別居して初めての仕事が時給850円、1日4時間勤務のパート。

その初任給でカフェオレを買ったのだ。

婚姻中、夫に外で働くことを許してもらえなかった私は、外で働くこと、収入を得ることに自由を感じていた。

勤務初日に職場で「私、働いているんだ」と実感し、震えたことは5年以上経つ今でも忘れない。

苦しみと絶望

それから転職をし、ようやく掴んだフルタイムの仕事。

私はそこで裏切りに遭った。

詳細は書けないが、背筋の凍るような脅迫メール、プライベートでは金銭的援助を一切してくれない夫

全ての苦しみが一度に押し寄せ、張り詰めたものが切れた。

そんな私は橋の上で川面を見ていた。

「頑張ってきたけど…もうダメかも」

もう頑張れない。誰も助けてくれない。

全てを投げ出したいと思った。


その瞬間、頭の中で子どもの声がした

「お母さん、お腹空いたよ」

私はその場で泣き崩れた。

子どもたちを置いていけない。

今私が味わっている以上の苦しみを子どもたちに味合わせてはいけない。

それが親。

そしてもし私がこの世からいなくなってしまったら

モラハラ夫は子どもたちを育てられない

私に生きる決心を与えてくれたのは、子どもたちだけでなく

皮肉にもモラハラ夫。

生きる決心〜そして今

それから私は転職し、がむしゃらに働いた。

職場で倒れ、そのまま入院になったこともあった。

苦しい別居生活だったが

この道を選んだことに後悔はない。

あれから数年経って、あの日思い詰めながら立っていた橋に足を運んだ。

あの日と同じ晴れた日。

あの日は濁って見えていた川面が輝いて見えた。

別居の苦しみは見える景色を変えてしまったが

今こうして輝く川面に気づける幸せの中

私は生きている。

有葉えに

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